3.アマチュア無線局開設 |
正式にライセンスを受けて開局することになり、2級アマチュア無線技士の国家試験を受けた。
同級生、JA5BX,JA5BZ,JA5DE,JA5CU,の4人が開局に漕ぎつけた。
アマチュア無線といっても、通常の無線局と同じやり方で、落成検査、予備免許、を経てやっと正式な運用が
できるのである。
無線従事者免許(写真には、刻印がしある)
開局当時のJA5CU局
送信機も受信機も、自作である。アマチュア無線用の機器メーカーはまだなかった。後ろの三段ラックは、就学旅行のために積み立てていた預金を下して買ったので、就学旅行には行けなかった。
アンテナは、山から、13〜14mの竹竿を切って来て、Long wire と 18mハイのバーチカルで主に、7MHzで国内の各エリヤーとQSOしていた。
竹竿によるアンテナ
同級生も、みんな自作で競い合った。
JA5BZ局
JA5BX局
JA5DE局
産業教育60周年記念ということで、我が工業高校では、校内開放して展示会を開催することになり、当局の無線機も展示することになった。
機械課にあったポンコツの自動車で助手の人の運転で、15Km程離れた我が家から、シャックを運んで展示した。
展示の当日は、母校の中学にも案内が行っていたらしく、母校の教頭先生もきていた。
産業教育60周年記念展で展示された我がシャックの前で、T君とF君
アマチュア無線ばかりやっていて、勉強を疎かにしたので、卒業しても就職できなかった。
昭和29年度は不況の最中で、約40人電気科卒業生で、卒業式の日に、就職先が決まっていたのは、10人程度だった。
それでも、5BX,5BZ,5DE達は、NHK,南海放送、四国放送へ就職していった。
僕は一年浪人して、大学へ行くことにした。
4.昭和30年頃のアマチュア無線⇒