中学2年の時、作った、高周波一段・受信機(スーパーではない)
のコイルを別の短波用コイルに変えて、超再生で短波を受信した。
当時、(昭和26年頃)は、VOA,モスクワ放送、中国の放送、など
短波帯で各国が宣伝合戦をしている時代で、自作のちゃちな受信機でも、ガンガン入ってきた。

そのころのラジオ雑誌に、アマチュア無線のことが、ちらほら出始めた、807シングルで、日本全国と交信可能などと宣伝していた。

中学3年卒業の春、ローカルにJA5AH,JA5ASが開局したので、見学に行った。
当時、7メガは、7050.と7087.5MHzの2波のみで、すごいQRMの中で交信していた。

工業高校へ入学したら、同じ興味を持った連中が5〜6人いて、正式にライセンスを貰う前に、電波を出してみたくなり、丁度、民間放送が始まったころで、5球スーパーのキットが簡単に入手できたので、2バンドで短波も受信できるようにして、送信機はそれぞれ、手持ちの送信管で自作し、
高校2年の夏休み期間中、お互いに無線で話していた。


当時は、JA0とJA9<エリヤーは、割り当てられてなく、UC局が、このプリフックスを使って適当なコールを作ってやっていた。
夏休みが明けた、9月1日の朝、学校へ行く準備をしてい時、裁判所の捜査令状を持った警察が4〜5人やって来て、無線機は勿論、アンテナの竹竿まで、鋸で切て接収された。幌のついた車に乗せられて警察署へ連行された。
近所の人達が、この事態を眺めていた。
同級生のO君も、やられたが、その他の者は、助かった。
四国の管内では、初めてのことで、スパイ事件並みの扱いであった。しかし、未成年と言うことで、家庭裁判所送りとなり、「好学心の行きすぎ」ということになり、裁判不開始決定で決着した。





    
3.アマチュア無線局開設
 2.短波を受信・アマチュア無線へ
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